藤原純友の乱と日振島の財宝伝説 blog

天慶年代 東の平将門の乱とほぼ同時期 時の律令国家に反逆し瀬戸内海・豊後水道で乱を起こした藤原純友の歴史とその財宝伝説を研究しています。最近、藤原純友の根拠地といわれた愛媛県宇和島市沖合いに浮かぶ日振島で新たにいろいろなことがわかってきました。純友の歴史研究をたどりながら、純友の財宝伝説に迫っていきます。

2014-10-14から1日間の記事一覧

財宝は日振島に持ち込まれた?

さて、今回から 翌天慶四年からの政府軍の反撃と空白の五か月の問題、純友集団の大宰府への侵入、その目的について述べていく。 天慶三年の純友集団の西への移動の後、年が明けて天慶四年(941年)になるといよいよ政府軍の攻勢が強まってくる。 「北山抄…

歴史史料から消えた純友集団、空白の五か月間

さて、今回は 純友の乱の中で非常に注目される 空白の期間について検証していきます。 天慶三年八月以降、政府と対決する決意をした純友はその配下集団とともに、行動をともにし西瀬戸内海に移動して行ったが、純友集団の動きで非常に注目すべき空白の期間が…