藤原純友の乱と日振島の財宝伝説 blog

天慶年代 東の平将門の乱とほぼ同時期 時の律令国家に反逆し瀬戸内海・豊後水道で乱を起こした藤原純友の歴史とその財宝伝説を研究しています。最近、藤原純友の根拠地といわれた愛媛県宇和島市沖合いに浮かぶ日振島で新たにいろいろなことがわかってきました。純友の歴史研究をたどりながら、純友の財宝伝説に迫っていきます。

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

純友の乱の核心、「純友 巨海へ出んと欲す」

さて純友が伊予国日振島で、豊後水道や宇和海の海賊・海民を集めての決意表明・政策演説をした後、約3年歴史史料上から大規模な海賊活動の記録が消えています。 そうして、3年後の天慶2年(939年)突如 伊予国である騒動が起き、伊予国より政府に報告が…

純友 日振島へ

さて、日本記略 承平六年(936年)六月某日条 に記載されている記事 「南海賊徒の首藤原純友、党を結び、伊予国日振島に屯集し、千余艘を設け、官物私財を抄却す、ここに紀淑人をもって伊予守を任じ、兼ねて追捕のことを行わしむ」とあります。 そうして…

純友登場 海賊鎮圧のため伊予に向かう

さて、先の喜多郡不動米略奪事件の約一年後の承平六年三月某日、歴史史料上に初めて藤原純友の名前が現れます。 その記載は、 吏部王記(りほうおうき)の記載で承平六年(936年)三月某日に この日、前伊予掾 藤原純友が、党を聚めて伊予国に向かい、「…

「承平南海賊」事件と伊予国喜多郡不動米略奪事件

さて、先に述べたように9世紀の海賊と10世紀の海賊は、その海賊の構成に違いがありました。そうして、9世紀から10世紀に移り 承平年間の承平元年(931年)~承平六年(937年)頃には、瀬戸内海の海賊の活動がふたたび頻繁に起こってきます。この…

海賊の発生と9世紀10世紀の海賊の違い

>承平四年の冬には伊予国喜多郡で三千余石という莫大な米が官の蔵から略奪される事件が起こったのです。 さて、10世紀(900年代)の承平年間になると、海賊の活動が瀬戸内海で活発になり、その顕著な例として承平四年の冬 伊予国喜多郡で三千余石とい…

前の伊予の掾(じょう) 藤原純友

さて前回、純友の経歴のひとつとして挙げた 官職である 前(さき)の伊予の掾(じょう)から、純友の動きを見てみましょう。 藤原純友が前の伊予の掾だったという経歴は 本朝世紀の記載 「前伊予掾藤原純友、去る承平六年、海賊を追捕すべきの由宣旨(せんじ…

藤原純友ってどんな人?

さて、藤原純友ってどんな人だったんでしょう? これまで、日振島が平安時代の承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)年代の頃、藤原純友と海賊の根拠地だったといわれていることは、いろいろな本の片隅に一行くらい書かれているだけで、それ以外には、ほとん…

藤原純友の財宝伝説と日振島

藤原純友の財宝伝説 はじめまして。これから、愛媛県宇和島市沖合いにある日振島を根拠地として、十世紀初頭、瀬戸内海の海賊の首領と呼ばれ時の律令国家に反旗を翻し、暴れまわったという藤原純友の歴史と財宝伝説についてお話していきます。 宇和島市沖合…